未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~

未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~
向田邦子を読むシロキチ

向田邦子の『父の詫び状』を写していると、こうしてシロキチがよくのぞきにくる。
音読しながら、カッカッカッカッ、うつしているので気になるのか、
それとも読みにきているのか。
猫好きの向田邦子さんの名文だから、この仔にも判るのかもしれない。
たった今、本一冊全て写し終えた。
全部写せているのか信用ならないので確かめてみたが、
「父の詫び状」「身体髪膚」「お辞儀」…「卵とわたし」から「あとがき」まで、しっかり書き取ってあった。
少しほこらしい。
9月30日に私にとって「大変なこと」が起こって、本当にみなさんには迷惑をかけた。
ブログを休むやら、泣き言、弱音、お恥ずかしい。
あの日、大きなものを失ったので、
「もう失うものは何もない」私は動こうと決めた。
好き勝手動いた結果、
逆に自分がまだまだ失いたくないものに囲まれていることを知り、
大事なものが何かまったく見えてなかったことに気づいた。
大きなものを失うのも無理はない。
大変なことがないと気づかないなんて、これまたお恥ずかしい。
感謝すべきものがまだまだ見えていないのだとは思うのだけど…
ついさっき、
映画『未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~』を独りで観てきた。
えぇえぇ独りでですが、何か?
とても判りやすいシンプルな純愛映画で、とても満足である。
満足すぎて、主題歌のドリカムのCDも買ってきてしまったほどだ。
映画を観ながら冗談ではなく、
本当に自分はいなくなってしまうのかも
と思った。
映画に出てきたお母さんの名言は、耳コピーであやふやなのだけど、
「本当に大切なことを言う機会は、人生でそうないのよ」。
この二週間で、映画のエンドロールみたいに色々な人に出会って、電話して、メールして、大切な全ての人に向かって記事を書いた。
何か大切なことをいっぺんにやってしまって、私の幕が閉じてしまいそうなのである。
プロポーズをした、なりたかった出版関係の就職活動もした、小説の処女作も初稿を書きあげた。
銀色劇場の鐘さんが
「実現しすぎで…」
とおっしゃっていたが、実現しすぎでおそろしい。
観たい映画を新旧関係なく何本も観た。
斎藤一人さんの大好きな本も七回目が読み終わった。
それこそ好きなエッセイ『父の詫び状』を写しきってしまった。
何か思い残すところがなくなっていて、こわいのである。
「植物は自分に必要なもんが、ちゃーんとわかっとんのやね」
これも、映画のお母さんの言葉だが、博多弁のはずが頭の中で関西弁に変換されていて申し訳がない。
三週間前よりは、大切なものに、自分に必要なものに、少しは気づけているのだろうか、と映画館を後にしたら、
「先生?」
塾で初めて卒業させた愛弟子?に遭った。
高2のこいつはデレデレで、チャリの2人乗りで彼女を送ってきた後だとすぐに判る。
私が何の映画を独りで観てきたか言ってやると、
「え…未来予想図?…独り?…ぷっ……」
殺してやりたくなり、思い残すことができてよかった。
何にしても、フリーターの私は今日でさようならなのである。
そんなに特別な日じゃなくても、10月14日の私は、今日でさようならなのだけど。
ありがとうございました。