アジリティ

アジリティ
AGILITY(アジリティ)シザーズバック

七月二十五日、夜の十時過ぎだった。いつもなら退社をしている時間。
この日は雨が降っていたこともあり、原付で帰るのは雨粒が冷たいし痛い。
雨宿りがてら、だらだらと社長の椅子に座って本を読んでいた。
いよいよ降り止まない雨に、それでも帰らないわけにもいかないので、誰かが忘れていった傘を借り、トボトボと歩いて帰ることにした。
一時間半の散歩。
恩田陸ではないけれど「『夜のピクニック』やな、これは」とか思いながら塾に鍵をかけた。
五分も歩いていない。後ろを振り返れば、すぐそこに塾が見える。
ポトッ…という音とともに腰回りが軽くなった。
巻いていたアジリティ(AGILITY)のシザーズバックが外れ落ちたのだ。
何かの力がかかったわけではなく、「あぁ疲れた」とバックが自分で巻き付いていた手を離すような感じだった。
雨に濡れ、暗さを増したコンクリートの上に横たわるアジリティを、
少しの間ボーっと見ていると、ふと昔のことを思い出した。
アジリティのバックは親友のYがしているのを見て、自分も欲しくなり衝動買いしたものだ。
素敵な美容師さんが、同じメーカーのバックにハサミを入れ腰に巻き付けているのを見つければすぐ、それを塾のみんなに自慢したりした。
気に入り、二年間自分が授業をするときは毎日毎日付けていたのだが、一度だけ買い替えたことがある。
雨に濡れたせいか、日に当たったせいか、カーキーに臙脂のストライプが入ったシックなデザインは、どこかボケてシャーが入ったような色になってしまった。
布地がめくれ、中の綿が剥き出しになっている部分もある。
小さくて選び抜かれた必需品しか入らない、では、さすがに使い勝手が悪いと思ったのだ。
新しいウェストポーチは、これまた親友のYを引き連れ、探しに探し、何度も試着して選んだものだったから、使い勝手は抜群であった。
でも二、三回使っただけで、後は衣装掛けにぶら下がっている。
知らない人が腰に抱きついているようで、どうも落ち着かなかった。
皮がめくれ、色あせていても、腰に手を回されて安心できるのは、初めからアジリティのこのバックだけだったのかもしれない。
変なことにこだわるタチで、アジリティは誰にも巻かせないようにしてきた。
いつだったか、一度塾の机にチョンと置いてご不浄に行ったことがある。
部屋には社長がいた。嫌な予感がしていたのだ。
出すものをサッサと出し、部屋に戻り、扉を開けたら案の定。
机の上にあったはずのアジリティが、社長のケツでブラブラしている。
「ちょっと!!何してんすか!?」
「あまりに大事にしてるからオラっちも巻いてみたくなってね。でも短くて巻けないや」
この人は私の癇にわざと障ってくる。
逆鱗があればわざわざ触れてくるのだ。
それで触れるだけ触れて「何怒ってんの」まったく小さいことに、と笑い飛ばしていく。
どうでもいいことにこだわっていると自分でも判っているだけに反論ができない。
ほんとに何ともタチの悪いイタズラをしてくる人なのだ。
この間など、授業の用意がはかどり、気持ちよくボニーピンクなどを鼻で歌っていると、
「あんまり歌は上手くないねぇ」と最近覚えたパソコンを立ち上げ、『千の風になって』を流し出す。
対抗して鼻歌の音量を上げると、スピーカーを大音量にして、社長自身もデタラメにテノール調にした声を塾内に響き渡らせた。
こっちはこっちで鼻歌だったものが声になり、あれよあれよのうちに先攻後攻と分かれていない紅白歌合戦になってしまう。
これぞ合戦。待ったなし。
あっちが歌い終わるのを待つなんて事はまったくなしの歌合戦だ。
まさに戦争形式の歌闘は、声の大きな私の方が有利にコトがすすんでいった。
が、やや劣勢か、と戦局を見るやいなや、じじいのくせにハイテク機器を駆使し、最大音量の千の風が総攻撃してきた。
いつのまにか『A Perfect Sky』の歌詞を『千の風になって』のメロディでお届けしていたり、老兵は老兵でポップな『千の風になって』を歌っていたり…
なんというかあまりに長い合戦で、どうやらお互い引き際を見失っていたところを、
「…何、してるの?」
とおびえた目つきの小学生に救われたりした。
金具が壊れ、外れてしまったアジリティを、時代劇に出てくる旅人のお弁当箱みたいに肩にひっかけ、家まで後半分というところにあるラーメン屋によった。

そのとき食べたラーメンとビール

自分の父親と同じ年の人に向かい、言いたいことを言ったことなんて一度もなかった。
アホみたいな喧嘩をし、子どもみたいに失礼な冗談を言いあい、デリカシーなく罵りあう。ましてそんなことなんて。
ワガママもいわせてもらった。
「なぁ、ケンちゃん、塾のチラシ作ってよ」なんて言われれば即答。
「イヤです」
「またまたぁ、そんなイジワルいう」
「タダでしょ?」
「そりゃぁそ~ぅでしょう?『若いときの苦労は買ってでも』っていうじゃない。チラシを作らせてあげるから、こっちがお金を欲しいぐらいだよ」
「ぜっっっっっったい、ヤです」
結局作るなら、はじめから気持ちよく「いいですよ!」といってればいいのに、このやり取りを楽しんでいるところがあった。
かわいがられていたのだと思う。
ムカつくときは本気でムカついた。
社長がドカドカ土足で心の内に入ってくるから、いつのまにか自分もあの人の内に土足で入るようになった。
喧嘩の後味も、友達とのそれではなく、家族としたときのそれに似ていて、
自分が100%悪くても謝りたくないというか、照れくさすぎるというか、言わなくても判っているだろう?というか…。
たった一杯のビールが効いてきたのか、急に人恋しくなり、誰に遭えるわけでもないだろうに、駅前をわけもなくさまよったりして、結局家に帰った頃にはもうとっくに次の日、七月二十六日になっていた。
携帯の着信履歴に残っているから、はっきりと覚えている。

7/26 AM6:15 社長奥さん 不在

シャワーからあがり、携帯を見てすぐにかけなおした。
六時半のことだ。
「主人が…」
昨日の夕方六時頃だったという。
奥さん、娘さん夫婦、孫三人。家族の見守る中、血圧がゆっくり下がってゆき、脈拍が徐々に少なくなって、それはそれは静かに、眠るように息を引き取ったそうだ。
社長はもともと体が弱く、五年ほど前から肝炎を患っていた。
「三年ぐらい前だったかな。もって半年っていわれたときには、度肝を抜かれたね。抜かれたついでに肝を変えてくれりゃよかったのに」
とふざけて話してくれたりした。
入退院の繰り返し。だいたいは一、二週間の入院。
長くても一ヶ月たった後には、
「よっ!」と塾に顔を出し、「「わぁぁぁおおおぉぉ!」」と子ども達の歓声を浴びていた。
見舞いに行ったことはない。
理由は判らない。
またすぐに帰ってくるだろうという気持があったからかもしれない。
いつも元気な社長の、本当の一面を見たくなかったからかもしれない。
変なプライドの高いところが自分に似たあの人だから、弱い面は見ちゃいけない…社長を思いやるフリをして、ただ自分が甘えられなくなるのが嫌だったからかもしれない。
勇気もなかった。
いつも入院のたびにほおっておいて、それが急に見舞いに行くなんて、これが最期かもしれないと認めることになるような気がして。
そんな私の気持を、社長なら簡単に見抜いてしまうだろう。
「腰の重いケンちゃんが見舞いなんて珍しい。まさか別れの挨拶にきたんじゃないだろうね?」
なんて憎まれ口を叩いてくれただろうか。
叩いてくれない社長に出逢ってしまっていたのだろうか。

社長の椅子

最期に社長に投げた言葉は何だった?
「塾に来て『しんどいー』なんていうなら、こないで家で休んでりゃいいんです」
こんな言葉だったろうか。
あの人からもらった言葉はなんだっただろう。
「じゃね、お疲れさん。また明日~」だったろうか。
誰も座っていない社長の椅子を見て考えても、いっこうに思い出すことができない。
あぁ、あの力なく落ちたアジリティは、勇気が出ず最期の最期まで見舞いに行けなかった私に対する、社長の最期のイタズラだったのかもしれない。
●長い記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。